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利益の追求だけでなく
人格を磨くこと
近代日本の発展に多大な業績を残し、日本資本主義の生みの親といわれる渋沢栄一が生涯のバイブルとしたのが、孔子の本『論語』である。
論語は約2500年前に孔子と弟子たちが交わした問答を、後の世にまとめたものだが、明治、大正、昭和の三代にわたって日本の近代産業の発展に大きな役割を果たした渋沢だけでなく、歴史上の偉人、あるいは現代人にも信奉者がおり、時代を超えて多くの人々の愛読書であり続けている。
ではなぜ『論語』を渋沢の愛読書として紹介するかというと、渋沢が、『論語』で人格を磨くことと、資本主義で利益を追求するという、一見相反する事柄は共存できるという考えに到達したからだ。
天保11年(1840)、渋沢は埼玉県の富農の家の子として生まれた。幼くして父の勧めで『論語』の素読を始め、7歳になると従兄と共に本格的に『論語』を学び、全文を暗記したといわれる。
同時に、『論語』をあわせて四書と呼ばれる『孟子』『大学』『中庸』、そして五経の『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』、さらには『日本外史」『十八史略』なども学び、和と漢の教養を身につけていったのである。
さて、明治2年(1869)、渋沢は29歳の時に明治政府に召し出され、大蔵省へ出仕し財政改革に努めたが、4年後、大久保利通と衝突したことが原因で下野した。ここから渋沢は『論語』への理解力をさらに深めると共に、心の拠り所とし、実戦に活用していく。
約束していなくとも、面会を求められると誰彼の区別なく渋沢は気軽に会ってくれた。しかし、その際の渋沢の観察眼は鋭く、言葉はもちろん相手の眼の動きや立ち居振る舞いをつぶさに見て、その本性を見抜こうとした。『論語』にはこういう言葉がある。
「その為すところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、人焉んぞ廋さん」
面会した時の渋沢がまさに、これだった。また、渋沢は次のようにも語っている。 「儒教の学問には『大学』や『中庸』など様々あるが、一段高い視点から見た学問で、個人の日常生活に密着した教訓とはなりにくい。これに対して『論語』は、一言一句が全て実際の日常生活に応用がきく。読めばすぐに実行できるような基本の道理を説いている」
だからこそ渋沢は『論語』を選んで愛読書とし、記されている言葉を守り実践しようとしたのだ。渋沢が実業界の舵取りをしたのは富国強兵の時代で、特に会社組織の創設が急がれていた。そこで渋沢は、会社を上手に経営するには何が必要かと考える。
答えは自ずと出た。“優れた人材”にほかならない。そして、それらの人々には守り行うべき規範や 基準がなければならないと、さらに考えをめぐらし、ならば日常の心得を具体的に説いた『論語』がうってつけではないかと渋沢は思う。判断を迷った時に『論語』の物差しに照らせば、まず間違いはないと確信するのだった。
商人としての道義を守り
国家の繁栄を願う
近年、経営者の社会的責任が取り沙汰されることが多い。しかし渋沢は、商業で利潤を追求するのはいいが、商人の道義も高め、商業を発展させなくてはならないと考えた。
欧米諸国に比べて日本は遅れて資本主義の道を辿った。その場合、会社は国家の庇護を受けるケースが多くなるが、それは政商と呼ばれる実業家の出現原因にもなる。もし、現在の日本企業の大部分の土台を作った渋沢が、金儲けに血道を上げ、事業の成長だけを願ったならば、資本家の代表や財閥の代表になっていたはずだが、彼はそうはならなかった。あくまでも『論語』から人格形成を学び、資本主義の利益主義一辺倒にならず、バランスをとることが大切であると考えた結果だ。
渋沢の経営理念は、「『論語』算盤説」や「道徳経済合一説」として知られている。道徳を『論語』、経済を「算盤」という言葉に言い換えているわけだが、道徳と経済は両立さ せることができるとし、渋沢は強い心を持って実践してきた。国家の繁栄や資本主義の発展のためには、個人の利益は犠牲にしなければならないと考えたのである。
そして、商工業を発展させ、国を繁栄に導き、国民生活を豊かに、しかも安定させることが大切で、それは『論語』でいう“仁義”に適うという考えに渋沢は到達したのである。

『ひろしま弁「論語」』
下見隆雄 著 溪水社
論語の口語訳をひろしま弁で綴っている。例えば「他人が、わしの(思いの、いよいよの、ほんまのところん)ことぅ認めてくれんのんを、わしゃぁ、情け無ぁじゃの思やぁせん」。
『現代語訳 論語と算盤』
渋沢栄一 著 守屋淳 翻訳 筑摩書房
経営、労働、人材育成の核心を突く渋沢の経営哲学は、指針の失われた現代だからこそ、未来に生きる知恵を授けてくれる。名著『論語と算盤』に散りばめられた渋沢の肉声に迫る。
『完訳 論語』
井波律子 訳 岩波書店
おおらかな楽観主義と健やかさに満ちた孔子と弟子たちとの語らいを活写。どのような状況下でもユーモアを失わずに生きた“肯定の思想”を存分に味わうことができる一冊。
『論語』
金谷治 訳注 岩波文庫
長年にわたって親しまれてきた岩波文庫版『論語』が、さらに読みやすくなった改訂新版。孔子の説く、人間として守るべきこと、行うべきことが、簡潔な言葉で綴られている。
論語の名言を味わう
論語を読んで内容を理解しているが、その内容を実践することのない人。または、論語は読むことができても正しく理解していない人のことを「論語読みの論語知らず」という。もったいない話。
なぜなら、論語に書かれている言葉は含蓄に富み、日々の暮らすなかでの行動の指針となる名言ばかりだからだ。しかも初めから読み進める必要はない。孔子と弟子たちとの問答集である論語は20編からなるが、それぞれの編の内容はまとまったものではないからだ。
以下に数例を挙げる。ちなみに孔子は中国の春秋時代の学者、思想家。役人として大成したが、政争に破れて下野し、弟子を伴って十数年間諸国を歩き、徳の道を説いてまわった。晩年は故郷に戻り、弟子の教育に専念した。儒教の祖でもある。
「学びて時にこれを習う、亦説(よろこ)ばしからずや。朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍(うら)まず、亦た君子ならずや」
意味:勉強を怠らず、切磋琢磨できる遠方に住む友を持つことは人生最上の楽しみだ。学んだものを人に伝え、その人がさらにほかに伝えることができれば、徳の完成した君子に等しい。
「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず」
意味:15歳で学問を志し、30歳で独り立ちし、40歳で惑わされなくなった。50歳で天命を理解し、60歳で人の意見に素直に耳を傾けられるようになり、70歳で人の道をはずさなくなった。
「学びて思わざれば罔(くら)し。思うて学ばざれば殆(あやう)し」
意味:学ぶだけで自ら考えることをしなければ、真の意味の知識は身に付かない。一方、考えるばかりで知識を人から学ぼうとしなければ、賢明な判断を下すことができなくなる。
「多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎んで其の餘(よ)を言えば、則ち尤寡(とがめすく)なし。 多く見て殆(あやう)きを闕き、慎んで其の餘を行えば、則ち悔(くい)寡し。 言(げん)に尤寡く、行いに悔寡ければ、禄は其の中(うち)に在り。」
意味:勤め先を求める方法を学ぼうとしていた子張に対し、孔子はこう語った。「たくさんの意見に耳を傾け、慎重に行動を起こすのであれば後悔はしないし、勤め先も自然と見えてくる」
或ひと曰く、「徳を以て怨みに報いば如何」。子曰く、「何を以てか徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」
意味:「徳を施して恨みのあるものに報いる方法はどうか」という質問に孔子は言った。「恨みのあるものには正しさで報い、徳を施してくれたものには徳で報いるのがいいのだ」
文/相庭泰志 写真/池本史
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